石川千代松博士の最近のブログ記事

 増井博士の寄稿された記事なども2年前より収集しておりますが、さすがにすべて手元におくことが出来ずにおります。

 特に大正時代には関東大震災、昭和には東京大空襲と、貴重な資料が焼かれてしまう事件が起こっております。

 戦後の資料は比較的楽に収集できますが、戦前のものは・・・・・なかなか骨です。

 この資料は農業技術史を専門とされております、とある方より頂きました。

 昭和14年発行された雑誌「養鶏」に増井清博士が寄稿された記事であります。題名は「雌雄鑑別研究当時の回顧と隠れたる恩人」です。

 こちらは記事にある写真です。

雌雄鑑別研究恩人.bmp

 非常に見にくい写真で失礼をいたします。

 右より、余語彦三郎氏、石川千代松博士、増井清博士であります。

 この記事が書かれた年は昭和14年です。ドイツで行われた世界家禽会議より3年が経過しております。世界各国が鑑別師の派遣をもとめてきた時です。この年36名の鑑別師が欧米へ派遣されました。

 写真の余語さんがその海外派遣(アメリカ)の第1号であります。当時最年少の天才鑑別師と評された方です。この派遣の年は昭和8年です。この余語さんの日本人鑑別師初の海外派遣に関して、写真中央の石川千代松博士がアメリカ各所の大学、研究所に連絡されたようです。

 石川千代松博士はこの2年後昭和10年に亡くなります。この時には18名の鑑別師が海外に派遣されておりました。僅かな期間で世界中より認められました。

 

 なお、この余語彦三郎さんはフィリッピンにて戦死されます。

 石川千代松先生がご自身の幼少期の頃を書き残してくれております。

 著書は、『人間不滅』昭和4年5月7日発行です。

 これです。

 

石川千代松著 『人間不滅』

 石川先生のお父様は勝海舟先生と幼馴染であったそうです。石川先生も勝海舟先生とお知り合いであったようです。ただ、勝先生は駿府(静岡市)に移住されましたが、石川博士は沼津に移住されました。どう違うのか不明ですがそのようです。


 石川博士は幼少期に修羅場をくぐっております。時は幕末、位は武士。どちらにしても平民とは胆のすえ方が異なるようです。この時石川先生僅か9歳です。

 

 この記事は平成23年12月12日に作成しました。

石川千代松博士の著書『人間』昭和3年版 p442~p459に『停年に際し私が急に職を辞せざる理由』の長文が収録されています。この長文は『人間』昭和3年版にしか収録されておりません。


 大阪府立大学附属図書館には小冊子となった、『停年に際し私が急に職を辞せざる理由』が保管されております。

 

停年に際し私が急に職を辞せざる理由

 

 文中よりこの文章が書かれた年は、大正10年と考えています。

 これまで何とか途中までタイプしてきましたが・・・農作業だけでなく、増井博士、寺尾博士の調査と首山堡を攻略しておりましたので、長く途中のままにしておりました。

 とにかく、石川博士の文章は漢字や仮名遣いが難しくタイプするのに苦労しております。
 
 最後の部分ですが、増井清博士があの(やかまし屋の・・・悪意は一切ございません)石川千代松博士に認められた数少ない一人である証拠でありますので紹介します。

 
 なお、増井清博士は静岡市小坂の御出身でございます。東名日本坂トンネルの静岡側出口附近が小坂です。

 

 この記事は平成23年12月6日に作成しました。

『停年に際し私が急に職を辞せざる理由』(古在帝大総長に提出したる文章の写)

 

停年に際し私が急に職を辞せざる理由

 

私は先般来川瀬農学部長より停年になったから辞職願いを出せと勧められている。勧められるまでもなく私は満60歳になった昨年既に辞表を出したのだ。然るに宛名が違うとて却下された。其の内佐々木、勝島両教授の辞職があり、勝島君の事は別に論じないが、佐々木君の辞職は、私をして前に急いで辞職願いを出したことを寧ろ大いに悔ゆるに至らしめた。故に私は軽々しく辞表を提出することは見合せたいと思う。一身上の都合からでは無論ない。理由は下の如くである。

 

 この記事は平成23年8月31日に作成しました。

ブログを見返してみれば、この古書探求のカテゴリーをつくってからもう時期1年になります。

 最初は、昔の(戦前)農学書(農業資材関係)を中心に紹介していこうかと考えていましたが、まとめるのに手間取り・・・つい時間ばかり経ってしまいました。(失礼)


 『古書探求』最初に紹介する方は、石川千代松博士の書かれた『人間』です。

 

石川千代松著 『人間』

 なぜ、石川千代松先生かといいますと、当初紹介しようと考えておりました、この小坂ご出身の増井清博士の師に当る方でございます。

 石川千代松先生については、雑誌、『採集と飼育』第43巻6号(1981)で増井博士が紹介されております。関心のある方はその巻をご覧ください。又は、『近代日本生物学者小伝』(監修:木原均・篠遠喜人・磯野直秀 平河出版社1988)に収録されております。


 私が購入しましたこの『人間』(万里閣出版 昭和3年発行)は、再販された人間には収録されていない次の2編があるからです。

 『停年に際し私が急に職を辞せざる理由』(古在帝大総長に提出したる文章の写)
 『東京帝国大学に起れる学問独立の危機』

 今後何とかこの2編紹介していきます。

 

 この記事は平成23年8月30日に作成しました。


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