鏡保之助先生の最近のブログ記事

 農業の置かれた状況に理解を示す(?)方々が使用される言葉の代表が「農学栄えて、農業滅ぶ」であります。

 この「農学栄えて、農業滅ぶ」とういう言葉は横井時敬先生の言葉とされていますが確認されておりません。つまり横井時敬先生の言葉といえる証拠がないのです!

 私のような田舎百姓が疑問に思うことは、この「農学栄えて、農業滅ぶ」と口にしたり、文中に用いている方々は、学者や評論家、学校の先生方であります。この方々は学識があることで俸給をいただいているはずなのに出典が明らかでない根拠のない言葉を引用しているのであります。

 うーむ、この方々は自身の無知を我々に示そうとされておられるのでしょうか。そうなるとその偽学を見抜けない我々の無学に責任があると言うことなのか・・・・・・・。

 と言うことになると、就職活動のために大学にいっている学生が「農学栄えて、農業滅ぶ」という言葉の源流を探る研究なぞ行うはずもなかろうなあ。

 とまあ、百姓仕事をしながら思い至る所となりましたので私のような駄馬が地道に調査を行うより他がありません。

 昔の言葉に「駄馬の歩みは、駿馬の足踏みに優る」とありますが、その言葉どおり小坂百姓が少しずつ歩んで行くことといたします。

 

 先の調査で「農学栄えて、農業滅ぶ」と類似した言葉を公を前にして発した人物を紹介いたしました。

 盛岡高等農林学校 校長「鏡保之助」先生です。

農学研究のかくのごとく盛んにして農村日に衰えるは何故ぞ

 と500名を数える農学者を前にして述べられました。(リンクはこちら

 寺尾博博士の寄稿より知る所となり、推定する時期を大正13年としてその時代を調査しておりましたが全く手がかりがなく半分あきらめかけておりましたが、ひょんなことからその時と大会に参加されていた方々の名前がわかりましたので紹介します。

 宮沢賢治といえば「雨にもまけず、風にも負けず」と言う言葉で有名です。農学者でありますが童話作家として名が知られています。

 この宮沢賢治が愛し普及に努めたとされる水稲品種が「陸羽132号」であります。

 賢治の「稲作挿話」に、「君が自分でかんがえた/あの田もすっかり見て来たよ/陸羽一三二のはうね/あれはずゐぶん上手に行った」とあります。(農林省HPより転記)

 

 宮沢賢治の著作は「注文の多い料理店」など有名なものしか知らなかったのでこの「稲作挿話」は未見です。

 宮沢賢治より高い評価を受けた陸羽132号は、日本初めて近代的育種法(科学的育種)により作出された品種です。

 こちらは珍しい陸羽132号の記念切手です。

陸羽132号記念切手.12.07.16.

  この切手は陸羽132号作出者「寺尾博」博士の御子息「寺尾明」さんが収集されたものです。

 

 HPでも宮沢賢治の名前と共に紹介されることが多い水稲品種「陸羽132号」であります。(さすが高名な作家であります)

 この陸羽132号の作出者の御名前を紹介します。

 

 この記事は平成25年1月28日に作成されました。

 多くの方が農業の状況を語る上で使われている、「農学栄えて、農業滅ぶ」でありますが、この言葉が何時、どのような状況で語られたのか疑問を持ちまして簡単な調査を行いました。

 横井時敬先生の伝記を編纂された先生がたの調査にもかかわらず出典が分かりませんでした。

 

 私の調査では、昭和3年の農業世界に「農業栄えて、農業不振」の言葉を見出すに止まりました。

 そして、静岡市本通出身の、盛岡高等農林第3代校長「鏡保之助」先生の言葉を寺尾博士の寄稿より知る所となりました。推定の年代は大正13年です。

 この鏡先生の言葉を受けた寺尾博士の答えを紹介して終りと致します。

 

 時は、大正13年。

 場所は、盛岡高等農林学校。

 農学会の大会が開かれ全国から500人を数える教授、先生方が集まりました。

 その晴れやかな舞台で鏡保之助校長が語った言葉は、

農学研究のかくのごとく盛んにして農村日に衰えるは何故ぞ

 

 この言葉を聴いて・・・幾人かは(かなりの大勢の方かもしれません)カチンときたと思います。

 簡単な言葉に直せば、

「農学の研究が盛んになるに連れて農村が日々衰えてくるのはどういうことだ」

意訳↓

「君たちは出世のために農学の研究をしているのか、農村は困窮の局地にあるぞ」

 と意訳してみました。場所は東北です。静岡では想像も付かない自然の猛威にさらされ、打ちひしがれる東北農民を見て鏡校長はそう感じておられたのではないか。

 ただ、全国の教授方500名を前にして堂々と苦言を口にする鏡保之助先生はかなり腹が座った方であります。もちろん士族です。(平民とは一味違います)

 この言葉にピンと来たのが駿河最高の農学者「寺尾博」博士であります。

 この時には博士号を取得され、後に有名になる陸羽132号も作出されていました。自身の主導する純系淘汰・交雑育種試験は大成功を収め、全国的に規模が拡大され世界に類を見ない大規模育種ネットワークに生長する一歩手前の時期でした。

 これだけの業績を上げている寺尾博士ですが、鏡先生に反論するどころか得心するところがあったようです。

 鏡先生の問いに答えるような形ですが寺尾博士の言葉が続きます。

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