鈴木梅太郎博士の最近のブログ記事

 梅太郎博士といえばビタミンです、そして脚気論争です。

 この脚気論争はなかなか現在までも農学者の中で語り継がれる大事件であります。

 この論争で梅太郎博士は「百姓学者」と罵倒されることは多くの資料で散見できます。ただ、この「百姓学者」なる侮辱については一言も梅太郎博士は記録を残されておりません。おそらく梅太郎門下のどなたかが記録として残されたようです。この「百姓学者」なる侮辱についてはまた考察いたします。

 脚気論争は、脚気菌説や白米毒素説などなどいろいろな説が入り乱れて大きな論巣となりました。この時はまだ栄養学にビタミン説が誕生していませんでした。

 散見する脚気論争の記事では、医学者の横暴のようにも見える脚気論争ですが、新しい学説が受け入れられるまでにはかなり時間と研究が必要となります。そして、これは学会(それとも学界か)内においての論争です。学会論争であれば決着がつくまでの過程で誤りがあっても問題はありません。学会論争とはそういうものではないでしょうか。(そうでなければSTAP騒動か・・・・)

 

 今回参考にする資料は、「鈴木梅太郎先生伝」、「研究の回顧」、雑誌「化学の領域」第11巻4号の特集記事そして、三浦謹ノ助博士の愛弟子であります静岡出身の医学博士勝沼精蔵著「桂堂夜話」です。

 私のような百姓が見た限り、この脚気論争はわかったような判らないようななんともいえない論争であります。ただ、「百姓学者」なる暴言が一人歩きした所もないではないような気がします。

 

 鈴木梅太郎博士と言えばビタミンです。

 勿論梅太郎博士の業績がビタミンの発見だけではないのですが、これだけが有名です。

 脚気論争と絡んで高名になりましたビタミンの発見ですが、こちらについてはウキペディアを始め多くのブログで紹介されていますのでそちらを参照して下さい。(一番よい資料はもちろん「鈴木梅太郎先生伝」であります)

 私は今まで埋もれていた資料より紹介いたします。

 こちらです

鈴木梅太郎栄養談義.14.05.16.

 昭和10年10月1日発行の文芸春秋13巻10号です。

 対談記事であります。

 参加者は、鈴木梅太郎博士、辰野隆博士、鈴木文助博士と記者の方です。

 鈴木梅太郎博士をご存知の方ならピンと来るお名前が並んでおります。

 お三方共に家族です。(ただ血縁はありません)

 辰野隆博士は梅太郎博士の奥さんの弟さんです。(義弟、専門フランス語)

 鈴木文助博士は梅太郎博士の娘婿であります。(もちろん梅太郎門下です)

 家族で対談したことが記事になるとは・・・・実に珍しいことであります。(お三方ともその専門では高名な方であります。)

 抜粋します。

 遠州の世界的碩学であります「鈴木梅太郎博士」でございます。

 遠州の方なのでカテゴリーをつくらずにおりましたが記事が増えてきたので新設いたします。

 静岡県出身者といえども、遠州と駿河は国が違うのでかなり遠慮があります。(しかたがない)

 本日までで梅太郎博士関係記事が9件ありました。こちらはすべて鈴木梅太郎カテゴリーにいれてあります

鈴木梅太郎博士.12.10.23.

 なお加藤剛さんのご尊父の記事もこちらにございます。

 加藤鉉一郎先生は、増井清博士と私の母校であります、静岡市立長田南小学校の校長先生を勤められました。最年長校長先生として創立90周年記念誌に寄稿がございました。

 

 普段お目にかかることのない梅太郎先生関係の資料を中心に紹介してまいります。

 

 オリザニン(ビタミンB1)の発見者にして、日本栄養学揺籃期における最大功労者。

 鈴木梅太郎博士カテゴリー

 

 陸羽132号作出者であり、日本農学を科学にした駿河最高の農学者。

 寺尾博博士カテゴリー 

 

 初生雛雌雄鑑別発見者にして、日本が世界に誇る動物遺伝学者。

 増井清博士カテゴリー

 

 

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 梅太郎博士について記載されている資料は多数あります。

 戦前においても郷土の偉人や著名な学者としてその他の著名な方々と共に紹介されております。

 それらの中で梅太郎博士研究資料の筆頭が、昭和42年6月10日社団法人鈴木梅太郎博士顕彰会より発行された「鈴木梅太郎先生伝」であります。

 梅太郎博士の記録が詳細に紹介されております。またお弟子さんの回顧録もなかなか面白いです。

 この「鈴木梅太郎先生伝」はさすがに学者が作成した資料であります。年号や資料の出典、執筆者など必ず明記してあります。梅太郎博士研究の第1資料です。静岡県立図書館にあります。

 もうひとつ「鈴木梅太郎先生伝」と並ぶ1級資料がこちらです

研究の回顧.14.05.17.

  昭和18年2月25日発行、鈴木梅太郎博士の著書「研究の回顧」です。

 この資料は古本屋より入手したものです。もちろん静岡県立図書館にあります。

 私がこの資料を入手した理由は・・・・梅太郎博士とはあまり関係がないのですが、我等が増井清博士と共に日本畜産学会設立に尽力された鈴木幸三博士(梅太郎博士とは縁戚ではありません。広島県出身です)について何か記載されていないだろうかと思いまして購入しました。また、古在博士についても記録を残されているので興味が惹かれました。

 梅太郎博士ご自身の記録であります。有名な脚気論争についても記載されております。

 

 他にお勧めできる資料は2点

 大分以前に紹介しました県立図書館隣にあります梅太郎博士の銅像です。

 こちらは以前の記事リンクです。

県立図書館の隣にある鈴木梅太郎博士の銅像

 丁度その日は県立図書館が耐震工事の為長期にわたって休館しておりました。そのため明るいうちに隣の県立大学附属図書館に本を借りに行きました。いつもは午後10まで開館しているので県立図書館が閉館してから利用していましたので暗くなってから移動します。

 その日のお目当ての本は辰野隆さんの全集です。

 ・・・・・・・!。

 道理で梅太郎博士の銅像を目にしたわけです。

 辰野隆さんは梅太郎博士の奥さんの弟さんです。(つまり義弟)

 縁があるものです。

 辰野隆さんは東京駅を設計された辰野金吾さんの御長男です。東京大学学長で白虎隊の生き残りであります山川健次郎博士と親戚になります。

 早めに配達を済ませて明るいうちに図書館にきました。先に梅太郎先生の銅像を拝みに行きます。

県立図書館から梅太郎博士の銅像.14.05.14.

 図書館裏の駐車場の入り口に梅太郎博士の銅像があります。あまり人通りがないところです。(夜間は)真っ直ぐ前を向いて歩いていると目に入りません。判りやすくて判りにくい場所に置かれています

 大岡越前で有名な俳優の加藤剛さんが親子で遠州の碩学「鈴木梅太郎」博士を舞台で演じられるようです。

 劇団俳優座創立70周年記念第3弾公演「先生のオリザニン」(6月12~27日、東京・三越劇場)

 記事のリンクはこちら

静岡新聞記事

鈴木梅太郎の半生描く 劇団俳優座が制作発表会 牧之原

鈴木梅太郎の半生描いた舞台 加藤剛さんら抱負

地元「牧の原市」の記事

鈴木梅太郎博士の生誕140周年を記念した舞台が開催されます

スポーツ報知の記事

加藤剛、鈴木梅太郎博士役「運命」喜ぶ

 一応私が簡単に目を通した記事です。

 鈴木梅太郎博士のお名前は、私のような駿河地域の百姓でも知っております。有名です!。

 静岡県には「鈴木梅太郎賞」と梅太郎博士のお名前を冠した賞があります。ビタミンB1(梅太郎博士命名はオリザニン)発見者として知っております。

 ご近所さんの加藤剛さんが演じられと見て、興味は惹かれますが・・・・何分東京で公開のようで・・・・見に行きたくても百姓には無理だ。

 できれば静岡市民文化会館あたりで講演していただければありがたいのですが。

 

 静岡農学校第2代校長の「白鳥吾市」先生は鈴木梅太郎博士を「立志伝中の人」と評しておられます。

 

 加藤鉉一郎先生は、現在の静岡市立長田南小学校の校長先生を勤められた方です。昭和14年から16年にかけて勤められました。

 俳優の加藤剛さんのお父さんであります。

 長田南小学校90年記念誌に寄稿された最年長の校長先生です。当時(昭和52年)84歳です。

 加藤先生より高齢の方は・・・、我らが初生雛鑑別の発見者にして動物遺伝学の世界的な権威「増井清」博士です。当時89歳です。(最年長です!!!!)

 この長田南小学校90年記念誌を発行しなければこれらの方々の生の原稿を受けることが出来なかったわけです。100周年にも記念誌が発行されましたが残念ながらこの時はほとんどの方は故人です。(高名な方)

 さて、本題の加藤先生と鈴木梅太郎博士ですが接点があります。

 有力とは言えないまでも確実です。

 一応その前に梅太郎博士のご紹介をさせていただきますと、ビタミンB1(発見当時はオリザニン)の発見者にして、国民の体力向上の為の研究に尽力、農芸化学の分野での第1人者であります。農芸化学は梅太郎門下の学者集団が発展させてきた分野といって過言ではありません。

 地元の(有能な)若者のお世話をされていたようです。梅太郎博士を頼って研究者になった方も多くおります。ついでに言えば、静岡大学農学部初代学部長後に静岡大学学長に就任された浜松市出身の「大杉繁」博士も梅太郎門下です。

 地元で講演会を幾度か行ったと記録にあります。

 

 ちょっと面白い話を紹介いたします。

 鈴木梅太郎博士はもちろんビタミンB1の発見者にして農芸化学の最高権威者であります。

 加藤先生は私と増井清博士の母校であります静岡市立長田南小学校の校長先生を勤められた方です。(こういう話しか増井博士のお名前の隣に・・・・・私がこない・・・Orz)

 加藤先生は昭和14年から昭和16年まで勤められました。私の地域でも加藤先生のときに長田南小学校を卒業した方がまだ健在なので話は(校長先生だけに)ちょっとだけ聞いたことがあります。

 加藤先生と鈴木梅太郎博士の接点は、(当時)同じ榛原郡の出身です。

 加藤先生は御前崎、梅太郎さんは相良です。ご近所さんであります。

 こちらが加藤先生です。

加藤剛さんのお父さん加藤校長先生.12.02.14.

 ・・・・・品のある先生です。

 俳優にしてもよいといわれそうですが、加藤先生はとある有名な俳優とご縁があります。

 こちらは昭和29年に作成されました「静岡県産業教育七十周年記念誌」を参考にしました。

 この資料に静岡農学校第2代校長を勤められました「白鳥吾一」先生のインタビューが乗っております。

 題名は「農業教育創始の頃を白鳥吾市氏に訊く」です。

 白鳥吾市先生は「農学栄えて、農業滅ぶ」と言う超有名な言葉を残されたとされる(まだ確認されておりません)横井時敬先生の弟子です。(もちろん東京帝国大学出身です)

 静岡農学校に銅像がございます。

 白鳥吾市先生銅像.12.08.08.

 静岡農学校50周年の時の記念事業でこの銅像は建設されました。

 先日こちらの静岡農学校に昔の資料(白鳥吾市先生関係)を拝見させていただこうかと電話した所・・・・・なんと、古い資料はすべて処分したとのこと・・・・・・Orz。

 よく伝統を語れるなあ・・・・モンスター・ティーチャーどもが。

 

 こんな話はどうでも良いのですが、簡単に貴重な証拠資料を処分する野郎どもが教員ですから、つい頭に血が上って・・・・失礼。

 さて、静岡農学校最高の校長先生と評された「白鳥吾市」先生の選ぶ静岡県農業教育史上の有名人です。(注・昭和29年の時点です)

 増井清博士と共に日本畜産学会設立の中心人物になられたかたです。

 明治23年3月生まれ、広島県出身です。

 東大農芸科学部に所属し、遠州出身の世界的な碩学鈴木梅太郎博士の助手になられました。(どっちにしても静岡と縁のある方です・・・遠州と駿州です)


 資料が少ないのですが、鈴木幸三博士の恩師、鈴木梅太郎博士の御進講の要旨と、愛弟子になります、西川哲三郎博士の著書より紹介します。

 

鈴木幸三博士

 鈴木幸三博士は、昭和11年11月30日 台湾にて逝去されました。享年47歳。

 足指の傷がもとで敗血症を起こされ亡くなりました。

 剛毅・果断・俊敏・緻密等の形容詞は氏のためにできたような人柄であった。と西川博士は書いておられます。

 初期の日本畜産学会誌にはよく論文が掲載されております。惜しい方を早く無くされました。

 この記事は平成23年9月17日に作成しました。


日本畜産学会 設立

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大正13年(1924)6月、日本畜産学会が設立されました。

 会長は岩住良治博士。会員は約180名です。

 このときの役員の名簿です。

 コピーですが・・・。

日本畜産学会役員名簿

 この時増井博士は37歳です。鈴木幸三博士のお名前もあります。鈴木博士は庶務のほうを担当されたようです。学会報の編集、発送は増井博士の研究室で行われていました。
 

 ただ、会員数が180名しかなく資金の余裕もありませんでした。(会費は年6円)最初の学会報発行は増井博士と鈴木博士が経費を負担されました。鈴木博士はその後もなにやかや負担をされていたようです。(会計の問題は戦後まで尾を引きました・・・)
 

 昭和7年に事務所を東大に移すまで畜産試験場で実務が行われていました。


 さて、この日本畜産学会報第一巻は大正13年9月10日に発行されました。第1回の大会は翌14年4月1日、青山会館にて行われました。

 この記念すべき第1巻の目次です。

 この記事は平成23年7月19日に作成いたしました。

 寒い日が続きます。

 ・・・・司馬遼太郎先生の著作「花神」の主人公、大村益次郎先生であれば

 「冬ですから寒くて当然です」


 と、切り替えされるでしょう。

 ハウス内の野菜の生育も遅れに遅れ・・・対策に苦慮しているところでございます。


 昨日は少し早めに配達に出ました。(理由は言うまでもありませんが収穫した野菜が少ないのであります)

 そこで、次いででありますのでまだ早いのですが県立大学附属図書館からお借りした本を返却にいきました。

 現在県立図書館は工事のため休館中ですので隣にある駐車場も使用できません。突当りの空き地に車を止め(本当は道路です)県立大学に向かいます。いつもここに車を止めて県大に向うのですが配達が終えてからなので夜です。8時から9時になります。私みたいな労働者にとって県立大学附属図書館は夜遅く(10時まで)まで開館してくれて天国みたいなところです。


 車から降りたら変わったものが目に入りました。

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