昭和6年、久能の石垣イチゴ

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 石垣イチゴと言えば、静岡市久能で作られている石垣を利用して栽培されるイチゴです。
 
 静岡は海岸線が長いのですが、この久能(正確には旧清水市の一部を含む)でしか作られません。

 ビニールが導入され又加温機が利用されるようになり以前に比べて特殊性の価値は落ちてきましたが、現在でも冬季の栽培効率は他の地域に比べて群を抜いています。

 私の住む小坂は海から山を隔てていますが距離は非常に近いのですが温度的には低い方に入ります。と言いますか久能が真冬でも温度が高すぎる地域なのです。

 こちらが私の友人宅の石垣イチゴです



石垣イチゴ181228.jpg
 もちろんこの写真のものは現代の栽培方式です。

 以前石垣イチゴを栽培している同級生と冬季のトマト栽培について話をしました。
私 「最近寒波のせいでトマトが焼けちゃって(寒さによる霜焼け)」
同級生 「うちらのトマトも焼けてるよ」
私 「君らのような暖かいところでも寒害が出るのか?」
同級生 「違うよ、昼間暑くて先端が焼けるんだ。あとスリップスがひどくて1月でトマトはやめる」
私「・・・・・・・・・・・」
私の中にわずかながら久能に対して殺意がわいたことを否定できない・・・。恐るべし地域特性

 こちらが昭和6年ごろの久能の石垣イチゴです

昭和6年久能石垣イチゴ140301.jpg 出典は「日本作物学会紀事3巻」です。撮影・記事の著者は当時の学会長「吉川祐輝」(きっかわ すけてる)博士です。


 静岡県静岡市の東方海岸に近き久能山麓に行はるるイチゴの石垣栽培は作物における太陽熱特殊利用法の一例なり。元来この地方は北に山を負い、南は海に面するにより、冬季すこぶる温暖なるが明治44年の頃、たまたま、石垣の間隙に生育せしイチゴが他に先んじて開花結実せし事実に端を発し、その後、特に約70度内外の傾斜をもって石垣を築き、石の間隙に苗を植えること行はるるに至り、最近数年間におけるこれが発展甚だ顕著なるものあり、石垣の石は従来その地方の海浜にありし丸型のものを採集して用いたりしが、近年その欠乏をきせしにより、コンクリート版(長一尺五寸、幅五寸、厚一寸5分乃至二寸)の長辺の一方二か所に三角状の欠刻を設けたるものを前記同様に傾斜せる土面に張り、もって石垣に代ゆるに至れり、石垣は年々改築し、苗を植える土壌の部分には肥料を施し、又防寒のため石垣の上方よりコモを懸垂すること、石垣面に布を張ること、及びよしずの類を覆うこと行わる。栽培するイチゴに早生、中生、晩生の別あり、早生種は1月既に市場に出すも、味概してよくならず、大部分は3月に収穫するなり。(後略)

 こちら久能は合併して静岡市に属しますがちょっと前までは「安倍郡」でした。安倍郡久能村です。吉川博士と同じ作物学会員である寺尾博士のお宅がすぐ近所の安倍郡豊田村です。たぶん吉川博士を案内されたかたは寺尾博士と縁のある方でしょう。

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このページは、yamahiko-farmが2019年2月 9日 04:13に書いたブログ記事です。

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