静岡県農学史にのこる有名人!(その2)

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 この記事は以前静岡農学校空前絶後の名校長であります静岡市門屋の「白鳥吾市」校長のインタビューより紹介いたしました。

 以前の記事はこちら

 こちらが白鳥吾市校長であります。

白鳥吾市校長.12.06.11.

 品のあるお顔をしております。

 白鳥先生は東京帝国大学にて横井時敬先生門下の碩学であります。若干26歳にて横井時敬先生と共著の「農業要覧」を執筆されました。農具の研究でも稲垣乙丙博士と共に大家として名が知られております。

 残念ながら静岡農学校に保管されていた白鳥先生の資料及び昔の農具現物資料はすべて進歩的な思考を持つ三流教員どもの手により廃棄処分されてしまいました。

 しかし、白鳥先生の資料をこの日本からすべて処分することは三流教員だけあって出来ないようです。

 さて、少数でありますが農学校卒業生より多大なる尊敬を受けております白鳥先生が挙げる農業教育史上に残る有名人です。

白鳥吾市先生談

 『第一に挙げていい立志伝中の人といえば、榛原郡の白羽から出られたビタミンの鈴木梅太郎博士ですね。

 それから、これは私と同級生だったんですが、寺尾氏。又、三島遺伝研究所の増井清氏、この人は雌雄鑑別の発見者ですし、

 獣医学で鳴らした田方の新田直氏、それから近くに居られますが、京大名誉教授、静大学長の大杉繁氏などあげられるでしょう。』

 

 先ずは、梅太郎博士です。ついで我らが聖一色の寺尾博博士です。そして我が静岡市小坂を代表する唯一の博士であります増井清博士です。最後の大杉繁博士は梅太郎門下の俊才であります。遠州の方です。

 最初にこの記事を紹介した時点で不明な方が、田方の新田直氏でありました。こちらもひょんなことでわかりました。昭和6年3月発行の「農業世界」よりわかりました。

 姓が間違えておりました。「新田」ではなく「仁田」です。読みは同じく「にった」であります。お名前は直(すなお)です。

 

 昭和6年3月発行の「農業世界」より抜粋します。

『獣医学博士の仁田直氏は静岡韮山の出身、富士の裾野のまき狩りで勇名を轟かした仁田四郎忠経の直系である。(注・仁田直博士の息子さんが仁田勇博士であります)

 駒場を出てから間もなく、若年27歳にして学位をとられ、爾来30年獣医学の講座をもたれている。

 短躯4尺9寸の博士は率直にいうと大教授らしい風貌は、そのどこにも見当たらない。地方の村長さんよろしくのタイプである。』

 以上です。

 増井博士が獣医学博士号を授与された年が34歳です。当時最年少といわれておりましたが、仁田直博士は27歳にて博士号を授与されたことがわかりました。確実に現在を含めても最年少でしょう。(もちろん学制改革が行われたので増井博士の時代とは異なるのでしょう)

 仁田直博士は1874年(明治7年)生まれであります。逝去は1936年1月23日(昭和11年)であります。

 

 これでようやく白鳥吾市先生が挙げられた5名の農学者を知ることが出来ました。詳細については今後も調査を続けてまいります。

 

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このページは、yamahiko-farmが2013年11月19日 21:59に書いたブログ記事です。

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