2013年7月アーカイブ

 夜陰にまぎれて敵前より後退してくる静岡連隊の生き残りの将兵です。

 關谷連隊長の後任に臨時として第2大隊長鈴木則柯少佐が連隊長代理として部隊を再編します。

 午後11時、集結した静岡連隊の将兵は僅か900名です。

 命令も行き届かないことから集合していない兵卒もあります。又負傷による一時的な戦闘不能者も多数あったと推察されます。内田軍曹の記録を見ていると・・・・負傷者はどうも入院患者の事を指すのではないかと思います。(ということは銃創を負っていても負傷者に数えられない兵卒が多数在ったと考えられます)

 兎に角も部隊が集結し組織的な戦闘ができうる状態となりました。(といっても1個大隊に満たない兵力です)

 前日の散兵壕にこもり残兵の収容を行います。この時に本日初めての食事と休息を取ることができたのでしょう。

 疲労困憊している中でも戦意は衰えていません。陣地により次の攻撃の命令を待ちます。

 

 翌午前1時より2時の間(内田軍曹の記録より)にロシア軍は首山堡陣地戦より撤退しました。

 払暁期、隣の歩兵33連隊が北大山を占領し他の部隊も続きました。この首山堡南方高地は後備歩兵第43連隊が突入し占領がなりました。

 1発も銃を射つことなく占領ができました。

 午前6時、兵卒の休息、部隊の整頓を終えた静岡連隊も激戦をおこなった首山堡南方高地山頂へ向かいます。

  採種用で植えました4株の在来スイカ「三笠」です。

 採種種子より作りました自根苗をそのまま定植しました。接木苗ではありません。

 問題なく旺盛な生育を見せてくれました。

スイカ在来品種三笠.13.07.28.

 多少草が出ていますがしかたがありません。(手間が無い・・・・)

 草をきれいに取ろうと蔓を動かすと・・・・スイカの生育に問題があるので、蔓をあまり動かさないように草を鎌で刈ります。私の 場合は、果実の部分だけ草を刈ります。蔓のほうは勝手に草に巻きついて日が当たる所に蔓を持ち上げます。(スイカ強し!)

 4株植えつけて・・・・視認できたスイカは10個ほどです。1株当り2個以上ついています。

 三笠スイカのほうはこちら。

 7月は私の住む小坂ではお盆月です。そしてもう一つの行事であります御施餓鬼もあります。

 軽く仕事をしてシャワーを浴びて安養寺に向かいます。

安養寺.13.07.23.

 暑い日です。

 ちなみに私は若いのです。年寄り臭いことばかり書くので年配者と思われるところがありますが・・・・・若いです。

 お寺の檀家役員なので行事には必ず出席します。最年少役員です。

 檀家役員は世襲制です。(戦後左翼どもが破壊できない文化がここに残っています・・・・まあ奴らにとって金にならないものは放置してあっただけでしょうが)

 題名は、私の好きな作家「佐藤愛子」さんの「戦いすんで日が暮れて」より拝借しました。

 必死に戦ってきた中、日が落ちると共に戦闘は終了し、辺りを眺めながら今日一日の出来事が頭の中を走馬灯のように流れ、呆然としている静岡連隊将兵の様が浮かんできます。

 橘大隊長のご遺体を前にした内田軍曹の姿に近いものがあります。

 待ちに待ったロシア軍の包囲網から突破する好機が来た時にはすでに橘大隊長は亡く、命に代えてもと誓った自分が生き延びてしまった現実が内田軍曹を打ちのめします。

 ありあわせのもので急造の担架をこしらえ橘大隊長のご遺体を運ぶ手はずを整えます。

 この時まだ第3師団は総攻撃の最中です。大島師団長の1日は首山堡が陥落するまで終わらなかったようです。

 盛んな砲声を耳にし附近の兵に内田軍曹が命じます。

『「今に増援隊が前進してきたら、健者傷者の区別なく、いやしくも射撃の出来るものは、ことごとくこの壕の前崖によって、高地上の敵に向かって援護の急射撃を加え、増援隊の突進を援けると共に戦友の英霊を慰めよう。」

 と申し合わせて、弾薬を拾い集めて腕を扼しつつ待ちわびたが、はるかに微弱な銃声が聞こえるのみで、容易に増援隊の近づいてくる気勢は見えなかった。』

 戦意衰えを見せない静岡連隊の将兵です。この時の戦意を支えていたのは戦死者に対する追悼の気持ちだけでありましょう。

 前線に友軍は姿を見せず、内田軍曹は5名の兵士と共に橘大隊長のご遺体を急造担架で運びます。ロシア軍の包囲網からの脱出です。

 

 一方、第3師団よりこの日の戦況報告を受けた第2軍司令部には激震が走りました。關谷連隊長、橘大隊長戦死、歩兵第34連隊死傷者多数。

 容易な戦いと楽観はしておりませんでしたが、これほどの損害がでるとも想像を超えていました。「ああ静岡連隊」には、静岡連隊の死傷者数をどのようにして郷土静岡に報告するか悩んだとあります。

 

 今年は昨年より大幅に遅らせて栽培を始めました、銀泉マクワウリです。

 理由は・・・静岡では需要がまるでないためです。

 さて、マクワウリ果実が段々大きくなって来ました。

 こちらです。

 

銀泉マクワウリ.13.07.21. 枯れた雑草が程よく座布団のように果実を座らせます。

 理想です。

 果実に傷が少なくなります。

 もう一つこちらはかなり大きくなってきました。 

 遠州磐田出身「市川紀元二」少尉の部隊により第1堡塁を占拠されたロシア軍北大山陣地です。

 午前の戦いぶりを第3師団長大島中将より叱咤された各連隊も猛撃します。決して各連隊将兵は臆して縮こまっていたわけではありません。(まあ、遠州人の部隊があるのですから当然ですが)

 解釈は色々ありますが、石原大佐への督戦命令はどちらかと言うと山口旅団長の頭ごなしに命令を出したとも解釈できます。山口少将の左遷はこの時点で決定的でしょう。

 想像ですが、場合によっては大島師団長自ら陣頭に立って突撃を行う腹で居られたのではなかったか。

 

 弾幕射撃の中果敢な突撃が各所で行われました。

 次々各部隊の将兵が参集する北大山山頂陣地ですが、将校の数に比べて兵卒の数が少ないと言う奇妙な現象すら現れました。(兵卒4~500名ほど)

 各将校の勇敢なる突撃指揮が兵卒をして勇戦させる原動力であることはどこの戦場でも同じようです。

 日本軍の猛烈な攻撃に慌てふためくクラウゼ少将です。

 まさか・・・・寡兵で第1堡塁を占拠するとは考えられないことだったのでしょう。計画ではロシア軍の弾幕射撃の前に全滅することになっていました。しかし、陣地の多くは日本軍砲兵隊の射撃により破壊され兵卒にも被害が出ており、計画通りの戦いが出来ない状態となっておりました。

 日本軍は続々と部隊を山頂陣地に送り込みます。こちらはかねての計画通りの行動です。ロシア軍は第2堡塁に下がり迎え撃ちます。

 山頂陣地を占領する日本軍部隊を駆逐する為、クラウゼ少将は予備兵力を集めます。

 首山堡南方高地を日本軍主攻と判断していたシベリア第1軍団司令官シタケリベルグ中将の手元には・・・・・予備兵力はありません。

 混乱するロシア軍指揮官と北大山陣地で激戦をおこなう日露両軍の兵士です。

 

 暑い日が続きます。

 夏は暑いです。クーラーの利いている部屋で農学研究している方々が非常に羨ましい所です。(ついでに、リスクもない仕事はやりがいがあるでしょう・・・皮肉)

 勝手に生えてきた採種用のスイカ「三笠」に実がつきました。もちろん自然交配です。

 この園地周辺には「三笠」以外の品種のスイカは植えてありません。交雑に心配はありません。

 2個ついています。

在来スイカ三笠.13.07.18.

 これといって手をかけていませんが強健なる生育を見せてくれます。理に沿って栽培していけば自ずから上手くいくものです。

 この三笠はスイカ品種の中では珍しく「突然変異」により誕生したスイカであります。

 旭大和に比べてスが入りにくいのでこの品種を残しております。

 アップにして見ます。

 先日紹介しました、変り種スティクセニョールです。(おそらく、多品種の混入か、親品種種子の混入です)

 

 お前は一体誰なんだ? 

 

 その後を紹介します。

 こうなりました。

スティクセニョール.13.07.08.

 黄色い花房をもつほうのスティクセニョールです。

 花が上がってきました。カリフラワーとは違うようです。

 よく見てみます。

 動物園に行った次の日・・・・滑り台に載れなかった二人を清水にあるローダースライダーのある公園に連れて行きました。

 特に花奈子チャンは時間の都合でウサギを抱っこできなかったのでぐずっていましたので・・・・不憫に思って連れて行くことにしました。

 うーん、何度も書きますが私は独り者です!。なぜこうも子供を見ると可愛がりたくなるのか不思議でしょうがないのですが性分です。ただ、決して私の子供ではありません。

 

清水の公園.13.07.14. 暑いせいか誰もいません。いつもは駐車場がいっぱい(品のない奴らもいっぱい)なのですが、今日はすきすきです。

 二人ともお尻にひくプラスチックの板を持ってローダースライダーへ向かいます。

 世間は熱中症が大流行でしょうが、百姓はこの位では倒れません。幼少期の教育の成果でしょうか?

 可愛い甥と姪が家に来ました。

 当人達は、おいちゃん(つまり私)に滑り台のある公園に連れて行ってもらう予定であります。

 ・・・・・・・・。

 いつも思うのですが・・・・この日本で私ほどオジバカをやれる人間は少数ではないでしょうか。

 昨晩(実は今朝までかかりました)まとめた野菜を車に積み配達の後に公園に行こうと、甥の佑太と姪の花奈子を連れて行きました・・・・。

 二人の顔を見ていると・・・・・、そういえば日本一長いといわれている日本平動物園のローダースライダーが再開されたとありましたので、二人の喜ぶ顔が見たいとお昼を買って日本平動物園へ向かいました。

日本平動物園.13.07.13.

 目的は動物よりもローダースライダーです!

 先ずはお昼を食べさせて休ませてからローダースライダーです。

 設備の整った(おそらく日本有数の)動物園には申し訳ないところでございますが、近いうちにまた来園するとして勘弁してもらいます。

 ところが・・・・・・・。

 直播銀泉マクワウリの実がつき始めました。

 可愛いものです。

 こちらです。

銀泉マクワウリの幼果.13.07.12.

 これがごっついマクワウリになるのです。

 小さい時から枕型です。

 今後どうなるのか・・・・、強風でやられないことを祈ります。

 

 

 

 

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 暑い日が続きます。

 兎に角暑いです。

 私は痩せ型の体型ですが・・・・暑いです。クーラーの利いた部屋にいれば太れるのかもしれません。

 昔からちっとの作業では汗をかかないのですが、夏場の農作業は・・・・地獄です。

 人間でも暑いのですから作物も当然暑いのです。

 僅かでも気温を下げようと考えれば、一番合理的な方法は潅水です。

ロメインレタスに潅水.13.07.08.

 潅水しているほうも涼しく感じます。

 ロメインレタスも気持ちよさそうです。

 たっぷり潅水して気温を下げます。これが夏場で一番重要な作業になります。

 

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 静岡歩兵34連隊が攻撃した高地は内田軍曹の記録及び公刊戦史では「首山堡南方陣地」又は「148高地」であります。中村昌第4中隊長代理の資料では「饅頭山」と記載されておりますが、黒木第1軍が攻撃した陣地にも「饅頭山」がありますので誤認防止のためあえて「饅頭山」の呼称は使用していません。

 午前10時、第3師団司令部より「正午を期し総攻撃を敢行する」との命令が下されます。この命を受け野砲連隊は攻撃準備射撃を行い、予備部隊は攻撃開始地点へ移動を開始します。

 静岡連隊の状況はというと・・・・、そこここの死角にこもる小集団の群れの有様でした。負傷兵がほとんど、健常者や軽傷者(弾を受けていても動ける間は軽傷です)は重傷者を守りながらロシア兵と銃撃戦を展開していました。将校も軍刀ではなく戦死者の小銃を取り射撃戦を行っていました。(水や弾薬の補給もなく全員疲れきっていました)

 ロシア軍が本気になって逆襲を行えば間違いなく成功しました。それも僅かな兵で。2個中隊ほどでも各所に散らばる静岡連隊将兵を各個撃破することができたのです。

 負傷兵をかばう静岡連隊将兵との間の白兵戦も僅かな間で、戦闘員すべてなぎ倒されその後、負傷兵が一人ずつ熊の銃剣で止めを刺されていったことでしょう。

 その恐るべき熊の突撃はありませんでした。研究者はロシア軍の特性を持ち出して説明するのかもしれませんが、私には天が助力してくれたのでないかとさえ考えてしまいます。

 例えるなら、まな板の上の鯉・・・・といった状況です。熊から見ればいつでも皆殺しにできたのです。

 

 その静岡連隊に、ついに援軍が到着しました。後備歩兵第11旅団です。海南(和歌山)の部隊です。

 公刊戦史の地図に推定の進路を記載します。

後備歩兵第11旅団の進路.12.09.10.

 赤色が、後備歩兵第12連隊です。

 紫色が、後備歩兵第43連隊です。

 静岡連隊の協力は得られず、高地の防御はいまだ堅固であることは指揮官である隠岐旅団長にはわかっておりました。

 公刊戦史にこのように書かれています。

『状況甚だ切迫せるを見、断然独力を以て攻撃せんと欲し』

 隠岐旅団長には、静岡連隊が際どい状況におかれたと判断されたのでしょう。果敢に突撃を開始します。

 時は総攻撃に先立つ、午前11時20分。

 後備兵は、一度現役兵を務めた予備役兵を再招集した兵であります。当然現役兵に比べて年を取っております。(30代です)。家族もいます。現役兵に比べて弱いといわれています。(家族がいるので当然です)

 隠岐少将はその後備兵に対して命じます。

「後備は役に立たぬと他から思われている、その名誉を回復するのは今じゃ。その首山の東南方高地はその連隊が占領せよ」

 旅団長の勇ましい命令に応え2個連隊が、首山堡南方高地及び達子栄東北高地(静岡連隊第3大隊が攻撃をかけた高地)に向けて突撃します。

 しかし・・・・・・・・・。

ハウスの主!!!。

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 ハウスの管理者は私ですが、このハウス建設当時より住み着いているのが「ヤマカガシ」です。

 ヘビですが、実におとなしい奴です。私が近づくと急いで逃げていきます。

 一度ひもと間違えてつかもうとしたら、・・・・・・おたがいにビックリして、あわてて引き下がりました。お互い見えないところで胸をなでおろしました。

 マムシと違って殺気がありません。ハウスにいるカエルやネズミを食べているのでしょう。

 かなり長い付き合いですが、最近見るヤマカガシは小さい奴です。代替わりをしたのでしょうか。

 こちらです。

ヤマカガシ.13.06.27.

 かわいい目をしています。いたずらをしなければ向かってきません。

 マムシと異なる所はテリトリーに侵入しても、危害を加えられないと噛み付いてきません。そういうヘビです。おとなしいヘビです。

 これからこのヤマカガシを良く見るようになるのでしょう。

 

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 8月31日正午。

 第三師団長大島義昌師団長は「師団総攻撃」を命じます。

 北大山を攻撃する右翼隊の3連隊はいくばくか損害を出していますが、静岡連隊のそれとは比較になりません。その上、静岡連隊が身をもって吸引した敵兵力はかなりのもの、北大山攻略の適期ともいえます。

 命令はただ一言、「突撃」あるのみです。

 

市川紀元二中尉像 全体 北大山ロシア軍陣地直下に取り付いていた部隊は、名古屋第6連隊第1大隊第2中隊です。中隊長は「松井石根」大尉です。

 ロシア軍の弾幕射撃がここでも有効に機能していました。兵の損害も出ています。中隊長松井石根大尉も大腿部に貫通銃創を負いました。しかし、総攻撃の命令が下されました。

 松井大尉は市川紀元二少尉に命じます。(市川紀元二中尉伝より)

 『「おれはここで指揮を取るから市川行って見んか」

 と声をかけるや否や、低くはあるが力強く

 「行きましょう」

 と一言、折から味方の榴弾が2発前面で破裂して黒煙が濛々と上がったのを利用し、軍刀を揮って跳出した。』

 

 北大山を守備するロシア軍指揮官はクラウゼ少将です。この峻険な位置にある陣地を突破されるとは夢にも考えていなかったようです。首山堡南方高地と異なり大兵を運用できるような余裕のある地形ではありません。寡兵で突撃してくる攻撃側を掃射すれば良いのです。防御側が圧倒的に有利です。

 しかし、日本軍砲兵部隊の執念は凄まじく短時間で守備兵と防御陣地の多くを破壊しました。クラウゼ少将にとって計算外の事態が起こりました。その上昨日派遣された予備隊は引き戻され、自身の部隊の一部も首山堡南方高地で静岡連隊と戦闘しておりました。

 守備隊が・・・・・名古屋第6連隊の突破を許すこととなりました。

 時刻は、総攻撃が始まった僅か30分後、午後0時30分です。

 この突撃こそ、ロシア軍司令長官「クロパトキン」将軍をして撤退を決断させる一撃になったのです。

 今年はルッコラの増産にも励みます。

 人気商品の一つとなってきたようなので、こちらも張り切って手をかけていきます!

 先ずは種を確保する所から始めます。

 すでに露地のルッコラは採種しましたが、ハウス内で実験用に栽培していたものから採種します。すでに変り種と思われるものは別に採種しました。

 こちらが荒っぽいけど採種しているところです。

 

ルッコラの採種.13.07.04. 乾燥したルッコラを踏みつけて莢を割り採種します。

 うまく落ちてくれば良いのですが、踏みつけた後振るいます。

 面倒くさい作業ですが、後が楽しみなのです。 

 最近よく見かけるようになった近所の飼い猫です。

 ハウスに入らないので別に気にしておりませんでしたが、今日ステックセニョールを収穫しているときにまた見かけました。

 畑に猫.13.07.05.

 慣れているのか私が作業していても全く気にしません。

 ちなみに小雨が降っています。

 それも気にしません。つまり感覚の鈍い猫です。

 やまひこ農園で栽培している、とあるF1品種のキャベツより採種を行いました。

 とあるキャベツF1品種の採種.13.07.04.

 はい、F1品種より採種しましたので、この種子はF2です。

 以前栽培実験を行い食味・生育共に問題ないことを確かめましたので、今後気長に選抜を行っていきます。

 午前中の戦況はおそらく大島義昌師団長をして激怒させたものであったでしょう。

 寡兵でロシア軍の大軍と戦い全滅した部隊がある一方で、一歩も突撃していない部隊があるのです。同じ第3師団の部隊です。いくら人間ができているといえでも、この状況で怒れない人物では師団長たる資格はありません。

 責任問題です。

 静岡連隊の詳細なる損害はわかりませんが、かなりの戦死傷者を出していることは見ればわかります。いくら静岡連隊将兵に対して美辞麗句を並べたてた処で、損害に見合う戦果を挙げなくては師団長として責任を問われます。何時の時代でも日本の国では責任は問われるのです。

 大島師団長としては、自身の責任問題よりも武士としての面目も丸つぶれです。

 すばやく作戦を建て直し再度の総攻撃に移ります。今度こそは総攻撃です。

 第2軍より与えられた予備兵力後備歩兵第11旅団をも戦線に投入します。

 後備歩兵第11旅団(旅団長 隠岐重節少将)

 ・第12連隊(連隊長 渡邊勝重大佐)、第43連隊(連隊長 佐野島丹蔵大佐) ・・・攻撃目標・達子栄東北高地。

 ・第22連隊(香渡範三郎中佐)・・・攻撃目標・北大山。

 予備隊など部隊を後置しておりますが主力はこの方面を攻撃しました。

 

 総攻撃は正午です。それに先立ち猛烈な砲撃戦が行われます。

 北大山を砲撃した徒歩砲兵第4連隊の使用弾種は他のものとは違います。

 名古屋第3師団師団長「大島義昌」中将は長州の出身です。もちろん士族です。

 戊辰戦争が初陣です。西南戦争にも従軍しております。

 この方より見た午前中の戦況は芳しいものではありませんでした。

 関谷銘次郎率いる静岡歩兵34連隊の奮戦は、歴戦の大島中将をして感心せしめる働きがあったことは間違いはありません。しかし、その代償として第3師団はもとより第2軍における最高の連隊長を戦死させ、静岡連隊は全滅と判断されるほどの損害を受けております。

 大島中将の戦況を睨む目は、第3師団の主攻撃目標たる「北大山」攻撃を担当する第5旅団長山口圭蔵少将に向けられました。

 第3師団の75%の戦力(歩兵3個連隊)を預かっていながら、何等戦果を挙げていないのが戦術の名手と称されてきた山口少将です。(※・この点「作戦の神様」と称された金沢の辻正信とにています。机上の空論を絵にかいたような俊才馬鹿です。)

 この遼陽会戦後山口圭蔵少将は更迭され最終的に免職になったそうです。研究家「大江志乃夫」さんの著書では、旅団本部の位置が師団司令部より後方にあったため戦意不足を問われ更迭されたとありますが、午前中の戦況を見ていた大島中将としては山口少将の指揮そのものが許されざる怠慢であります。

 山口少将が預かる第3師団右翼隊は、第18連隊、第6連隊、第33連隊です。児玉恕忠少将指揮下より第33連隊を引き抜いて右翼隊の指揮に入れています。

 3個連隊あって戦果はありません。

 北大山のロシア軍陣地にすらたどり着いていません。

 名古屋第6連隊のみが副防御(鉄条網、狼穽)を突破してロシア軍陣地直下に迫ったのみで、豊橋第18連隊、名古屋第33連隊にいたっては突撃開始地点より一歩も前進していません

 こやつ何をやっているのか。と怒りに燃えていることは想像できます。

 静岡34連隊は充分すぎるほど働いてくれました。敵部隊の吸引に成功しています。ただ、静岡連隊自体壊滅する状況になっていることも大島中将を悩ましていたことでしょう。

 静岡連隊の生き残りの将兵の銃撃や野砲兵連隊の攻撃阻止砲撃でかろうじて戦線を保っていますが、ロシア軍が本気になって攻勢をかけてくれば生き残りの静岡連隊の将兵ことごとく散華することは間違いのないところです。この時の静岡連隊の状況では2個中隊ほどの兵力でも充分壊滅させることができると判断できます。

 戦況を好転させ静岡連隊の救援も行わなくてはいけません。師団長として苦慮しすばやく作戦を立て直します。発令は午前10時です。「正午を持って総攻撃を行う」です。

 果敢なる攻撃命令を発する大島師団長に小ざかしい進言をする山口圭蔵少将です。

 私のハウスは様々な生き物の住処になっております。

 虫はまあ多くいますが、カエル、ネズミ、モグラ、そしてヤマカガシなどが動物ではおります。

 今度はハウスの隙間から侵入してきたセキレイが居つくようになりました。

ビニールハウスにセキレイが.13.06.30.

 わかりますか?

 内張りの支柱に止まるセキレイが見えます。

 隣の蔓はオカワカメです。

 生育絶好調のオカワカメです。

 この頃オカワカメにアオムシがつき始めて対策に苦慮しておりました。(登録農薬が全くないので、BT剤とボルドーに頼るより他はありません)

 しかし、セキレイを見かけるようになってアオムシを見ることが少なくなりました。ありがたい援軍です。

 山頂陣地はもとより第1塁までもロシア軍の手中に帰しました。

 早朝の奮戦が嘘のような状況であります。周囲は皆負傷兵のみ、補給や後送はなく灼熱の太陽の下で渇に苦しむ将兵であります。

 内田軍曹の記録よりこの時の首山堡陣地の様子を紹介します。

『その頃は頂上は勿論高地一帯ことごとく敵影ならざるはなく、第1塁第2塁の胸檣(※きょうしょう)上にずらりと並べられた敵の銃剣は、日光に反射してキラキラと輝き渡っている、壮観というか不気味というか、げにや「剣の襖」とはかくのごときを形容するの言葉であろう。銃砲声の間間には、敵の指揮官が何事をか号令する、声高な叫びが手に取るように聞こえてくる。時には喋々喃喃と露兵同士が語り合っている話し声さへはっきりと耳に入ってくる有様である。

 「この高地、断じて敵に渡すな」と眦を決して怒号せる橘大隊長の言葉も、今はすでに甲斐なし。もし隊長がこの悲惨な状況を知ったら、恐らく憤死するのであろう、私にしても癇癪玉が破裂しそうな悔しさを感じる。』

 完全にロシア軍包囲下に置かれました。ただ、熊は逆襲に来ません。生き残りの静岡連隊将兵がいまだ性懲りもなく銃撃戦を行っているからです。熊でも命がほしいのです。

 

 橘大隊長が受けた傷は7箇所です。時間的に受傷した箇所を列挙していきます。

 突撃時に、右手に銃剣による裂傷。

 白兵戦時に、左手に銃弾による擦過傷。(指が何本か失っています)

 山頂における白兵戦時に、腹部貫通銃創。

 砲撃戦時に、砲断片による腰部打撲。

 内田軍曹による後送時に、左右胸部貫通銃創、左上膊貫通銃創、鼠径部貫通銃創。

 以上です。致命傷は避けられましたが早く軍医の手当てを受けないと大事になります。

 必死に手を尽す内田軍曹ですがどうしようもありません。ロシア軍の包囲は水も漏らさぬ完璧ぶりで看護兵が負傷兵の収容に来るどころか、こちらから這い出ることすらできません。内田軍曹が送った伝令白鳥伍長は狙撃を受け大腿部に貫通銃創を負いました。

 

 そんな状況下端然とされていた橘大隊長です。

 後退していく負傷兵を見ると呼んで慰労の言葉をかけます。一人一人にです。

 自身の負傷よりも、兵の負傷のほうが気になる方でありました。しかし、後退していった負傷兵はただの一兵も、救護所のある向陽寺にたどり着いた者はありませんでした。

 すべて首山堡南方高地前面に広がる高粱畑で打ち倒されました。

 ほとんど一方的にロシア軍に痛めつけられる、惨めな静岡連隊将兵の中で光る橘大隊長の姿です。

 現在販売中のリーフレタス(島チシャ)は、焼肉との相性抜群です!

 今まで牛肉と豚肉だけしたためしていませんでしたが、鶏肉にも挑戦してみました。

 ・・・・・コンビニ弁当の焼き鳥ステーキですが・・・・。

焼き鳥と島チシャ.13.07.01.

 お肉がさっぱりとしてとても食べやすいです。

 美味しく食べられます。

 葉物野菜と一口に呼びますが、使い方はそれぞれ特徴を生かして料理すると美味しさは倍増です!

 このリーフレタスはサラダとして利用するのではなく肉物と一緒に食べるのに最適なリーフレタスです

 

業務用としてご入用の方はこちらまでお問い合わせください。

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野菜レシピ記事リンク集

 

 草取りです。

 私自身は祖父に仕込まれたので草取り(耕作と色々意味含めてよんでいます)は好きです。

 耕作すると、体が自然に動いて草を取り、石を拾い出します。しかし、このご時世そんなことをしていたら農業で生活できません!。(この理由がわからない奴が大学の農学部にいくな!)

 除草対策を様々に施しておりますが、このリーフレタスの畦だけは手落ちでした。

 これが草が生えた様子です。

マルチ下に雑草.13.07.01.

 草に負けて枯れたリーフレタスの株があった穴より顔を出しているのがメヒシバなどの雑草です。

 透明マルチ下では、対策を怠るとこのように雑草が出てしまいます。この畦は昨年9月に秋作のために用意したものですが、9月末の台風の後片付けでほとんど植え付けできず放置されていたものをそのまま利用しました。

 すごい雑草の繁殖力です。

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