遼陽会戦、首山堡攻撃の決断。

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 日露戦争で一番最初の大会戦が「遼陽会戦」です。

 旅順要塞の攻防戦はまだ始まったばかりです、この戦に勝利しないと日本はより苦境に陥ります。

 真剣勝負の一戦であります。

 

 さて、この遼陽会戦の首山堡戦については、よく黒木第1軍を助ける「助攻」であるといわれております。(戦記物ではよくある話です)

 全体で見れば、遼陽会戦ではロシア軍のほうが日本軍のより兵力、砲力は勝っております。しかし、公刊戦史に記載されている首山堡周辺の兵力の配置図をみると、この首山堡戦に関してはかなり異なった見解が出来そうです。

 

首山堡ロシア軍配置図.12.08.29.

 こちらが首山堡戦2日前のロシア軍の配置図です。

 

 兵力は、シベリア第1軍団とミチェンコ少将率いる騎兵1個師団です。

 簡単に言えば、合計で歩兵2個師団と騎兵1個師団です。

 

 我らが日本軍は、第2軍と第4軍です。

 合計で、歩兵5個師団と騎兵1個旅団(秋山支隊)です。

 

 日本軍有利です。砲力も歩兵の数に比例して日本軍圧倒的に有利です。

 つまり、第2軍、第4軍ともに首山堡を攻略して遼陽に向かう作戦計画であったことは確実であります。決して助攻ではありません。首山堡を突破する用意がありました。

 しかし、攻撃時期について満州軍総司令部にいる小才子井口・松川より口出しされてきます。この会戦時期について雑音が入らなければ周到な準備を行い犠牲を少なく攻略できたことは間違いありません。攻撃時期もそれほど遅くならないことはいうまでもありません。

 雨のため街道はぬかるみ、重量のある砲車の移動には時間がかかりました。ロシア軍より妨害の射撃を受けながらであればなおのことです。しかしこれも1,2日で何とかなる話でした。(距離的に)

 満州軍総司令部の攻撃督促はすべての意味で日本軍には不の効果がありました。第2軍との攻撃開始までのやりとりを見ると非は満州軍総司令部にあります。詳細のリンクはこちら。もう一つ記事を追加しました。

 

『鞍山站、遼陽は男子埋骨の地となす。』首山堡戦(序)

首山堡総攻撃の前日、第2軍司令部の苦悩

 

 満州軍総司令部の小才子どもとは異なり、さすがは歴戦の勇将である奥、野津両大将です。敵に倍する兵力を持ちながら決して敵の防御陣地を侮りません。

 しかし、状況は悪いほうに向かってきました。ロシア軍が逆襲に転じてきました。

 これは30日未明より攻勢に出た第4軍旗下の第10師団がロシア軍の攻撃を受けます。増援を受けたロシア軍部隊の攻撃は激しく、第10軍は「苦戦ヲキワム」と報告しております。

 一時的に日本軍右翼が危機にさらされる事態となりました。

 30日午後6時

 第3師団長大島義昌中将は決断を下します。

 「第1線部隊の諸報告により正面より強襲する不利を覚えしといえども、午後6時に至り第10師団は優勢なる敵の逆襲を受け苦戦すとの軍通報にせしか故に万難を排して攻撃せんと欲し・・・、」

 とあります。首山堡払暁攻撃の10時間前です。

 

 満州軍総司令部の督戦は誠に迷惑千万であります。歩兵の移動はもとより一番困難を極めたのは砲兵の展開でありました。歩兵主体の強襲突撃が約束されたわけです。

 

 私がまたこのように再度調査をしなおしている理由は、關谷銘次郎大佐にあります。

關谷銘次郎連隊長銅像.12.08.27.

 一般の資料にあるように、大軍への悲劇の突撃でしょうか?、それとも満州軍総司令部の井口・松川の口先に動かされたのでしょうか。

 この2つの理由は結構著名なかたが口にしておりますが、私は賛同できません。

 首山堡のロシア軍は堅固な野戦築城陣地に布陣していますが、日本軍よりも戦力的に寡少であります。どう考えての首山堡攻略作戦は順調に進展していけば勝利は見えてくるはずです。

 では、井口・松川の差し出口が原因で首山堡の悲劇の攻撃が行われたのか(実はこれ司馬遼さんです)、確かに第10師団があのタイミングで危機に瀕した事とは関係があるのかもしれませんが静岡連隊の悪戦とは関連は薄いと考えています。

 より関連があるのはこちらです。

首山堡第三師団進撃図.12.08.29.

 第三師団隷下の4個連隊の内静岡連隊を除く3個連隊が「北大山」に向かっています。この北大山こそ第3師団が主攻撃目標にした地点です。ここを攻略できれば首山堡戦の片が付く需要拠点であります。(一番標高が高い地点です・・・・砲兵の観測所のため)。またここがシベリア第1軍団の2個の師団をつなぐ位置でもありました。

 この第3師団の攻撃を成功させる為にも、静岡歩兵34連隊が首山堡南方高地にてロシア軍予備兵力を拘束する必要があるわけです。 

 確かに準備不足は明白でありますが、この点について關谷銘次郎大佐は一言も記録を残されておりません。

 帝国陸軍最高の合理主義者にして、兵を慈しむ度量のある器量人がむざむざ兵を無駄死にさせる作戦を受け入れるだろうかと疑問を持ったのです。

 出世を棒に振ってまで陸軍大学の教官と論争したり、無礼だからとシナ人を海に投げ込んだ気概のある男が不合理なことを受け入れるわけが無いのです。自分ひとりの命だけではなく3000名もの兵の命を預かっているわけですからなおのことです。くどいようですが、關谷連隊長や将校は武士出身の職業軍人です、兵は市井に職を持つ平民の徴兵であります、同日の談ではありません。

 つまり、関谷連隊長が命令を受け入れた理由は、どのような状況でも静岡連隊が壊滅可能性が高いと想定されていたのではないか。陣地戦とはいえすべての部隊が陣地に張り付いているわけではありません。必ず予備兵力が背後に存在します。この部隊を吸引する役目をかねての計画にあったのではないかと考えています。

  兵力がロシア軍に優っていても、友軍の攻撃を成功させる為にあえて陽動部隊を用意する慎重な作戦が第3師団にて立案されていたと考えたほうがよさそうです。

 

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このページは、yamahiko-farmが2013年5月10日 19:12に書いたブログ記事です。

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