安倍郡立安部農学校から発展した「静岡農学校」の歴史の中で24年間校長先生を勤められた白鳥吾市先生であります。
東京帝国大学を卒業し、高名な横井時敬博士と共に研究を行っていた碩学の方であります。
安倍郡の要請を受け農学校の校長をお勤めになりました。そのため博士号を取得されておりません。自身の出世を教育の為に投げ出された方であります。
私の尊敬いたします聖一色の寺尾博博士が紹介してくれました。寺尾博士の同級生です。
その白鳥先生の残された著作が「農業要覧」であります。
こちらが私の手元にあるものです。
明治44年に発行されました。横井時敬博士との共著です。
世界各国の各種データ、作物、家畜などの詳細なデータ、法律各種、試験機関から農学校についてまで、当時入手できる限りの資料からデータの一覧を作成したようです。
もちろん洋書も含まれると考えられます。
考えてみてくださいこの書籍が書かれた時代は明治44年です。日露戦争後6年経過した時代です。
「農学栄えて、農業滅ぶ」と言う言葉を明治の時代に残された横井時敬博士が共同の研究者として白鳥先生を選んだことは、白鳥先生の人格と学識に横井博士自身に共通するものがあったことを示しているように私には感じられます。
こちらは農業要覧の1ページです。
白鳥吾市先生のお名前が見えます。明治44年にこれほど詳細に外国の状況まで調査可能であるのにも拘らず、その後約30年後には日本始まって以来の卑怯極まりない開戦奇襲により最強国アメリカに戦争を仕掛けると言う暴挙を行いました。
白鳥先生も寺尾博士も増井博士も、この日本の暴挙に関しては私が知る限り何も書き残されておりません。情報はあっても生かされない日本の欠点は現在も改善されておりません。
この「農業便覧」の序文の横井時敬博士の文章を紹介します。
『曰く農事の友曰く農家實典曰く農林家必携皆農家必携の好冊子たるを失わずあたかもその材料を採ると生産の方面に偏して農政経済の方面に疎なりと思うるにこれを不便とするもの我ら農政経済の専攻者のみにあらざれん是我農業著述界の一大欠陥となすべきものなり余近頃白鳥農学士の助を借りてこれにこの欠陥を補うの志を達するを得たり名をつけて農業要覧というまた敢えて農政経済方面のみに専らならざりし所以江湖必ず之を涼とせん』
明治44年6月17日
著者の一人
横井時敬 識
一部かな使い、漢字を変換しました。
白鳥先生の序文、あとがきはありません。
この著書は白鳥先生26歳の時に書かれました。
やまひこ農園のHPです。
現在野菜セットにて、ミニトマト・トマトの販売を始めました。下のリンクよりどうぞ。
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