遺伝研予定地の農地問題をちょっと分析。

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 三島の農民百人余と1年以上の騒動の舞台となりました遺伝研の予定地ですが、どのくらいの規模(面積)があったのでしょうか。

 農家の出身でないと面積についてはピンとこないかもしれません。100人もの農家がかかわってくるからさぞ広い面積であると思うかもしれません。

 さて、遺伝研予定地の規模はどのくらいであったのでしょうか、宮山平八郎事務官の記録から紹介します。


 敷地は全部で28,649坪、建物は総延坪が2,553坪、本館だけで1,240坪となっている。


 坪換算でありますが、基本的に農地は反部(300坪)、町部(3,000坪)で面積を表します。理由は、最低でも2反部ないと生活できないからです。(当時、もちろん出仕事もしている前提です)


 建物の建坪の規模が大きいのはやはり天下の中島航空機工場だけはあります。もちろんアメの航空機工場にはかなり劣りますが。・・・ちなみに静岡市に建設された三菱発動機工場(たしか発動機だと思います)は・・・登呂遺跡が発見されました!もちろん遺伝研の候補地にはなりませんでした。


 敷地面積からわかる事は・・・。

 

 この記事は平成23年12月3日に作成しました。

 敷地面積からわかる事は・・・。

 遺伝研の敷地は農地ですから反部換算してみます。

 28,649坪・・・約9町5反5畝です。(1畝は30坪)

 つまり10町部ないのです!。そこに100軒もの農家が土地を所有していると言うことは平均して1軒当たり1反部弱です。

 
 農地としては最低戦力単位面積であります1反部です。この点農家が交渉に熱が入ることは理解はできます。(ただこの当時これらの農家が土地を所有していたのかそれとも小作していただけなのかいろいろ背景に不明な点が多くありますが)当然代替地や金銭保障の交渉はなされていると判断されますが・・・。


 当時の記録では予算の話がかなりでてきますが土地の面積については宮山事務官の記録だけでした。

 

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このページは、yamahiko-farmが2012年3月17日 19:11に書いたブログ記事です。

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