遺伝研誘致問題打ち合わせ会議・・・静岡市

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 昭和22年1月、竹中博士は国立遺伝学研究所設立請願に関する事務を遺伝学会長増井清博士から懇望され、引き受けられました。

 これにより請願その他に関する事務が統一され、順次軌道に乗ってきた。

 と、竹中博士の記録にあります。

 
 宮山事務官の記録です。

 三島の候補地の折衝及び静岡市に対する交渉も活発に展開されていった。これらの仕事の立回りを引き受けて竹中さんが登場したのはそれから間もない事であった。例の引揚者を標榜した向う意気強い姿が2,3日おきには現れて、書類の調製その他連絡が促進された。


 竹中博士のおかげで、現在でも国立遺伝学研究所の設立にいたる記録を見ることができるわけです。当時でも竹中博士のお仕事は地味ながら非常に重要なお仕事でありましたことが分かります。


 さて、候補地は三島に決定いたしました。しかし、まだ静岡市でも会議が開かれております。その記録を紹介します。(竹中博士の記録です)

 

 この記事は平成23年11月6日に作成しました。

5月19日竹中は人類遺伝部の附属病院を静岡につくることについて、増田市長に面会懇談した。また小林知事と研究所設立促進及び誘致運動のため委員会をつくることについて相談した。


 増田市長です。

 私の年代では知らない人が大多数ですが・・・、私は年配の方と付き合うことが小さい頃から多かったので名前は伺っています。

 小坂のすぐ隣の大和田出身の市長です。今、城山中学の正門前にある村です。静岡中学で増井清博士の1期下の23期卒業です。おそらく小さい頃博士とよく遊んだ仲ではないかと思います。

 ちなみに増田市長の1期下(増井博士の2期下)が、キスカ島撤退作戦で有名な木村昌福海軍中将です。海軍の将官の中で私が一番好きな軍人です。このキスカ島撤退作戦の功で天皇陛下に拝謁されたそうです。


 人類遺伝部の附属病院ができたのかどうかわかりませんが・・・まさか、県立こども病院がそうでは・・・ないですよね。


 
 6月12日
 静岡県立静岡農業高校で、県教育長の主催のもとに遺伝学研究所誘致問題打合会が行われた。

 静岡農学校です。古庄にあります、今の東静岡駅の近くです。なぜこの農学校で行われたのかまったく不明です。遺伝研側の参加者も不明です。だれか参加されておられたら話の種に今まで残っているのでしょうが・・・まったく分かりません。

 この静岡農学校第2代校長は、寺尾博博士の同級生であり、あの高名な横井時敬博士、稲垣博士と共著の著書もある農業経済学者であります白鳥吾市先生であります。(昭和18年まで24年間校長先生を勤められました)

 こちら白鳥先生についても面白いお話がありますのでまた紹介します。もちろん寺尾、増井両博士と同じく御大家と呼ばれる家柄の御出身です。


 こういう記録があるから、昔の本を読んでいて面白いと思います。

 

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このページは、yamahiko-farmが2012年3月17日 17:08に書いたブログ記事です。

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