遺伝研 静岡市の候補地

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 昭和21年8月10日、増井清、田中義麿、木原均、古畑種基、和田文吾の5博士と古里氏は静岡駅に集合し、出迎えの市の職員の案内で宿舎に入る。翌11日には市長に面会し、市の郊外の敷地予定地を視察した。そして午後は三島に立ち寄り、花島周一氏の案内で谷田工場を視察した。


 と、竹中博士の記録に見えます。

 まだ、静岡大空襲で焼け野原になった中心街の再建ができておりませんでした。私の祖父の復員が昭和21年(何月か?)です。静岡駅から浅間さんが見えたといいます。ろくな建物が残っていなかったから市の宿舎に1泊されたと思います。

 当時の市長は宮崎通之助市長です。(静中出身です。増井博士の先輩になります)

 


 後に浜松フラワーパークの園長になられた古里和夫さんの記録を参考に書いていきます。(30周年記念誌)

 

 この記事は平成23年11月1日に作成しました。

 

候補地は、大岩、聖一色、用宗です。 


 ・・・・。


 確か大岩には、34連隊の演習場があったと思います。近くには、後の静岡大学(当時は静岡高校)と静岡中学(寺尾、増井博士の母校)があります。


 聖一色は、寺尾博博士の生家がある村です。正確な場所はわかりませんが、ベーブルースと沢村投手が勝負した静岡球場(現草薙総合運動場)の裏手になります。あちらの周辺は、県立大学、県立図書館、県立美術館などがその後できました。


 用宗は、増井博士の生家がありました小坂の海側にある村です。東海道線用宗駅があります。東京、大阪間を行き来する社長さんの所有する別荘がたくさんありました。海側には空気がよいので都市部のお金持ちの個人所有の結核療養所(表向きは別荘)がありました。海岸には漁船を造る造船所がありました。


 この3箇所を視察されたのです。


 その後三島に向われます。

 古里氏の記録では24日にも三島の予定地を視察されています。(増井清、篠遠喜人、梅谷与七郎、木原均の諸先生)


 この時点でほぼ三島に決定しております。

 

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このページは、yamahiko-farmが2012年3月16日 21:06に書いたブログ記事です。

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