遺伝学研究所設立運動戦後の再起

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 終戦と共に、我国文化再建の一翼として先ず遺伝学研究所を作るべであるとの運動が小熊捍博士の手紙によって開始され、文部当局においても熱意を以て遺伝学会に協力される気運となった。

 この小熊博士の手紙は宮山平八郎事務官の手記によりますと昭和20年11月17日付となっております。終戦後3ヶ月で活動が始まりました。


 幾つかの候補地が選ばれ、検討されました。

 善通寺第11師団跡地
 日光、伊香保、大宮の御料地
 静岡市郊外
 三島市中島飛行機谷田工場跡地

 
 昭和21年4月、日本遺伝学会に遺伝学研究所設立準備委員会ができ、この委員会の名をもって「遺伝学研究所設立についての依頼の件」を文部省に提出し、設立の趣旨及び計画案を述べた。(竹中博士の手記より)

 この時の日本遺伝学会長は増井清博士であります。

 

 この記事は平成23年10月31日に作成しました。

 竹中博士の手記は続きます。

 

 7月には候補地を、静岡と三島にしぼった。その内でも先ず谷田工場を第一候補地と考えたが、それは賠償施設であったので、商工省から解除申請書を静岡県知事を通じ第一軍団へ提出した。この件に関しては商工省総務局長美濃部亮吉氏と商工省賠償課下島儀貞技官に多大の尽力を賜った。

 

 当時はアメリカ軍の占領下でありました。進駐軍は静岡にもおりました。確か静岡市の西草深か大岩あたりに進駐していたのではなかったかと思います。(昔年寄から聞いたので)


 宮山事務官の記録です。

 静岡市においては研究所誘致の為、文部省の予算省議を目安として公債の募集ということも計画されたようであったが、如何にせん肝心の予算省議が未通過に終わってしまったため、研究所の設立はまたまた一頓挫となってしまった。

 
 候補地は静岡市と三島市が残りました。静岡市ときいて面白くなってきました。どこが候補地として選ばれたのか・・・。もちろん調べました。次の記事で紹介します。

 

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このページは、yamahiko-farmが2012年3月16日 21:03に書いたブログ記事です。

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