国立遺伝学研究所ができるまで(第4特別委員会)

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遺伝学研究所設立の為の特別委員会が『第4特別委員会』です。

 これは、学術振興会の内につくられました。


 この略称「4特」のメンバーの記録が記念誌には無くかなり探しました。ようやく東畑精一博士編集の「日本農業発達史 第9巻」に記載がありましたので紹介します。


 
 始まりは、昭和13年の秋、人物は北海道帝国大学教授「小熊捍(まもる)博士」です。

 小熊博士は、学術振興会学術部次長でありました波多野員夫理事に、遺伝学の基礎的研究の重要性を強調してその了解を得、第7、第8及び第12の常設委員会のそれぞれの委員長、柴田桂太、坂口康蔵、岩住良治の3博士を歴訪され、遺伝学研究の特別委員会を作るべく奔走されました。


 この小熊博士の運動が、国立遺伝学研究所設立に向けての一番最初の活動でした。(まだ、この時には遺伝学研究所とは出ていませんが)

 
 この活動は、3年後の昭和16年4月に「第4特別委員会」として学術振興会内部に設立されました。内容は「遺伝の理論及びその応用」です。

 

 この記事は平成23年10月31日に作成しました。

 ・・・・。

 この第4特の内容ですが、遺伝学関係の方の記録ではすべて「遺伝の理論及びその応用」でありますが、東畑博士の編集された「日本農業発達史 第9巻」では、「遺伝の基礎研究を目的とする」となっております。意味が異なるのかどうか判りませんが参考まで。


 さて、この第4特別委員会の委員の名前です。

 小熊捍・木原均・駒井卓・篠遠喜人・田中義麿・寺尾博・古畑種基・増井清・松浦一・山口彌輔の10博士です。


 この委員会では、「遺伝子記号の書き方」(1944)。「遺伝子の命名法と記号の書き方」(1950)。などの基礎的な資料を審議し規約をつくり出版していました。


 この第4特ができた年は昭和16年、太平洋戦争開戦の年です。

 当然ですが、遺伝学研究所設立に関する運動も停止する事になります。10博士共に日本の敗戦を予想しながらも各々研究を継続していきました。


 余談ですが、昭和16年増井清博士は、『鶏における卵巣除去による人為的間性の研究』にて日本農学会賞を受賞されております。

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このページは、yamahiko-farmが2012年3月16日 20:51に書いたブログ記事です。

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