「農学栄えて 農業滅ぶ」研究の最近のブログ記事

 農業の置かれた状況に理解を示す(?)方々が使用される言葉の代表が「農学栄えて、農業滅ぶ」であります。

 この「農学栄えて、農業滅ぶ」とういう言葉は横井時敬先生の言葉とされていますが確認されておりません。つまり横井時敬先生の言葉といえる証拠がないのです!

 私のような田舎百姓が疑問に思うことは、この「農学栄えて、農業滅ぶ」と口にしたり、文中に用いている方々は、学者や評論家、学校の先生方であります。この方々は学識があることで俸給をいただいているはずなのに出典が明らかでない根拠のない言葉を引用しているのであります。

 うーむ、この方々は自身の無知を我々に示そうとされておられるのでしょうか。そうなるとその偽学を見抜けない我々の無学に責任があると言うことなのか・・・・・・・。

 と言うことになると、就職活動のために大学にいっている学生が「農学栄えて、農業滅ぶ」という言葉の源流を探る研究なぞ行うはずもなかろうなあ。

 とまあ、百姓仕事をしながら思い至る所となりましたので私のような駄馬が地道に調査を行うより他がありません。

 昔の言葉に「駄馬の歩みは、駿馬の足踏みに優る」とありますが、その言葉どおり小坂百姓が少しずつ歩んで行くことといたします。

 

 先の調査で「農学栄えて、農業滅ぶ」と類似した言葉を公を前にして発した人物を紹介いたしました。

 盛岡高等農林学校 校長「鏡保之助」先生です。

農学研究のかくのごとく盛んにして農村日に衰えるは何故ぞ

 と500名を数える農学者を前にして述べられました。(リンクはこちら

 寺尾博博士の寄稿より知る所となり、推定する時期を大正13年としてその時代を調査しておりましたが全く手がかりがなく半分あきらめかけておりましたが、ひょんなことからその時と大会に参加されていた方々の名前がわかりましたので紹介します。

 また新たに我らが寺尾博博士の記事を入手しましたので紹介します。

 雑誌「実業の日本」53巻5号にあります寺尾博士の寄稿です。(昭和25年3月)

 この時寺尾博士は67歳。農事試験場を退職され参議院議員、坂田種苗(現、サカタのタネ)の取締役を勤めておられました。

 終戦後わずか5年です。

 都市では闇市は賑わい、農村地域も増産増産の掛け声と共に野良仕事に追われる毎日でありました。

 学者も、農業技術者も当面の課題である食糧生産に目を奪われ先を見るゆとりも無かったのでしょう。

 (・・・・・当然ですが研究室があればよいほうで実験器具、試薬、そして文献も不足していました。)

 政治的、経済的、心理的な様々な難問が山積するなか、じっと日本農業の将来を見据えていた農学者の一人が寺尾博博士であります。

 

 こちらは寺尾博士の御自宅にありました寺尾博士直筆の額です。博士が尊敬する宮崎先生の言葉であります。

 

 

宮崎安貞先生遺言.12.07.16.1. 

 寺尾先生の考え方が伝わってくる文章であります。(宮崎安貞先生遺言)

 

 「農の理法」(昭和21年)を執筆された4年後の文であります。

 現在における農業の問題点を浮き彫りにしたような内容であります。 

 少しずつ紹介していきます。

 

 この記事は平成25年3月9日に作成されました。

 先日「名古屋大学農学部のヘビ事件」を紹介いたしました。リンクはこちらです。

???名古屋大学農学部の「ヘビ事件」。

 非常に当時若手の研究者より煙たがられた方が我ら小坂出身の「増井清」博士です。

 まあ、それでも世界的な研究者・学者が出てくれば笑い話で済まされますが・・・・実はこのお話は笑い話では済まされないほど恐ろしい意味を含んでいます。

 昨年世界家禽会議が100周年を迎えました。初生雛鑑別の研究で増井博士が世界的な評価を受けた会議は、昭和11年ドイツ・ライプチヒにて行われた第6回世界家禽会議においてです。

 この時に急遽作成されたフィルムを名古屋大学の蛭薙先生が発見してDVDにて保存してくださいました。

 その記念あるフィルムを昨年の100周年を迎えた家禽会議ブラジル大会にて公開されたようです!!!

 こちらが日本家禽学会の記事リンクです。

初生雛鑑別法の発展と普及

 

 なぜ余興でも増井博士の登場するフィルムが公開されるのか、答えは恐ろしいものです。増井博士が亡くなって30年余経ちますが、博士の初生雛鑑別技術を超える研究が今だ登場していないのです。

 家禽学の世界で、日本が世界に対して自慢できる研究はこの初生雛鑑別技術しかないのです。(恐ろしいです・・・・・研究者の数や研究費は昔より何倍もあるにも拘らず!!)

 

 こちらは東京帝国大学で撮影されたゴルドシュミット博士が大切にしていた写真です。

ゴルドシュミット博士の写真.12.08.18.

 前列左がゴルドシュミット博士、右が石川千代松博士。

 後列左が大町文衛博士、右が我らが増井清博士です。

 写真嫌いのゴルドシュミット博士が大切にしていた写真がこの写真です。

 

 増井博士は石川千代松博士とゴルドシュミット博士を師として研究をされました。

 初生雛鑑別の研究も偶然や幸運で完成されたものではありませんでした。研究費の不足や学界につきものの雑音の中、増井博士が黙々と研究し完成に導いたものでありました。

 畜産の世界で今だ増井博士以外に世界的な研究がないと専門外の私が主張する根拠が・・・・実はあります。(情けない・・・)

 

 多くの方が農業の状況を語る上で使われている、「農学栄えて、農業滅ぶ」でありますが、この言葉が何時、どのような状況で語られたのか疑問を持ちまして簡単な調査を行いました。

 横井時敬先生の伝記を編纂された先生がたの調査にもかかわらず出典が分かりませんでした。

 

 私の調査では、昭和3年の農業世界に「農業栄えて、農業不振」の言葉を見出すに止まりました。

 そして、静岡市本通出身の、盛岡高等農林第3代校長「鏡保之助」先生の言葉を寺尾博士の寄稿より知る所となりました。推定の年代は大正13年です。

 この鏡先生の言葉を受けた寺尾博士の答えを紹介して終りと致します。

 

 時は、大正13年。

 場所は、盛岡高等農林学校。

 農学会の大会が開かれ全国から500人を数える教授、先生方が集まりました。

 その晴れやかな舞台で鏡保之助校長が語った言葉は、

農学研究のかくのごとく盛んにして農村日に衰えるは何故ぞ

 

 この言葉を聴いて・・・幾人かは(かなりの大勢の方かもしれません)カチンときたと思います。

 簡単な言葉に直せば、

「農学の研究が盛んになるに連れて農村が日々衰えてくるのはどういうことだ」

意訳↓

「君たちは出世のために農学の研究をしているのか、農村は困窮の局地にあるぞ」

 と意訳してみました。場所は東北です。静岡では想像も付かない自然の猛威にさらされ、打ちひしがれる東北農民を見て鏡校長はそう感じておられたのではないか。

 ただ、全国の教授方500名を前にして堂々と苦言を口にする鏡保之助先生はかなり腹が座った方であります。もちろん士族です。(平民とは一味違います)

 この言葉にピンと来たのが駿河最高の農学者「寺尾博」博士であります。

 この時には博士号を取得され、後に有名になる陸羽132号も作出されていました。自身の主導する純系淘汰・交雑育種試験は大成功を収め、全国的に規模が拡大され世界に類を見ない大規模育種ネットワークに生長する一歩手前の時期でした。

 これだけの業績を上げている寺尾博士ですが、鏡先生に反論するどころか得心するところがあったようです。

 鏡先生の問いに答えるような形ですが寺尾博士の言葉が続きます。

 「農学栄えて、農業滅ぶ」という言葉の出典を私なりに調査した結果については昨日の記事で紹介いたしました。(恥をさらすようで・・・・なんですが)

 赤門をでた学者先生が寄って調査して分からなかった言葉の出典ですので、私のような素人が調査して分かるようなら苦労はありません。

 私が白鳥吾市静岡農学校校長の資料の閲覧を希望したのも、白鳥先生の資料に手がかりがあるかも知らないかと考えた所もありました。

 白鳥先生ご存命でしたら師であります横井時敬先生の言葉であるかどうか、また何時どのような場所で口にされたのか・・・・分かったのかもしれません。(白鳥先生は昭和32年逝去されました)

 ただ、白鳥先生の資料は・・・・静岡農学校にあったものは(教員の手によって)ほとんど処分されたので今となってはどうにもなりません。

 

 さて、私がいろいろな資料(主に古い雑誌)を見ていて、この「農学栄えて、農業滅ぶ」という有名な言葉が文中で使われる時は・・・だいたいある時期と一致すると考えています。

 それは、農村不況です。より分かりやすく言えば農産物価格が下落した時です。

 このようなときに評論家じみた農学者や記者が好んで使用します。

 ある意味、自分は農家の為になってますよ(味方ですよ)とアピールする為の用語として使用されているようです。

 より詳しく見ていきます。

 この言葉は農学を学んだものにはおなじみの言葉です。

 栽培のなんたるか知らなくても、この言葉だけはほとんどの学生は知っています。(たぶん全入学以前の大学です)

 一応横井時敬先生の言葉として知られています。私もWikiではなく高校の時に本で読んで知りました。この時は・・・横井時敬先生の言葉として紹介はされていませんでしたが。

 

 「農学栄えて、農業滅ぶ」・・・・普通に考えると実に矛盾しています。普通は学問があって産業が向上するものであります。そのために学問するのですから。

 では、どのような意味でもちいられるのでしょうか。

 はい、この場合「生業」(なりわい)と言う言葉を入れればよくわかります。

 こうなります。

 「農学を生業とする者栄えて、農業を生業とする者滅ぶ」となります。

 よくわかるようになりました。言葉は古いのですが・・・明治の方が口にしているのでこのくらいの言葉を使用しないとしっくりきません。

 農学を生業にする者とは当時も現在もそう変わりませんが、農事試験場の技官や学者などの公務員を指します。(現在では農協の指導員も入ります)。民間の研究所の方は入りません!

 基本的に農業生産物で生活していない、指導的立場の公務員を指すものです。

 農業を生業とする者は・・・・・農家です。農協は一切関係ありません

 農協と異なり、農家は資材の売買で所得を得ているわけではないからです。(もう一つ余分を言えば農家は公的な補助金で生活していません。TPPも関係ありません。)

 

 実に分かりやすく、これくらい大雑把な区分けはありません。誤解が多く生まれます。

 なぜならば、農学を生業とするものの中には、私の尊敬する「寺尾博」博士や我らが「増井博士」そして梅太郎博士も含まれてしまいます。

 この方々は、私のような百姓にとっても人生のお手本そのものであります。尊敬100%、それ以外の感情は1分子も存在しません。

 

 当然ですが、私のような理屈っぽい駿河の百姓は横井時敬先生のものとされる「農学栄えて、農業滅ぶ」と言う言葉は、どのような文脈の中で使用されたのか気になります。

 そこで、マイライブラリーの県立図書館へ向かい調査を行いました。(確か・・・今年の7月か8月くらいです)

 ある意味・・・・私らしい間の抜けた調査でした。

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